2020年6月15日月曜日

小池百合子氏

夏の紅葉


『女帝 小池百合子』(石井妙子)

東京都知事、小池百合子氏は新型コロナをうまく抑えている、と言えるだろう。
少なくとも韓国、中国よりもうまく、新型コロナウイルスを制御することに成功している。
欧米、中東、南米の惨状を見るにつけ、同じことがなぜ東京で起こらなかったのか、本当に不思議である。

これは東京の都知事の功績である、ともいえる。

しかし、功名を上げると、必ず妬むやつが出てくる。
特に女子の世界では、そういうことが起こりやすい、と言える。
「あの人だけ、うまくやっているのが気に食わない」と感じる度合いは、女子の方が大きい、と言わざるを得ない。

『女帝 小池百合子』という本は、典型的な暴露本であり、実につまらない本である。
この著者が、いかなる人物かは知らないが、有名な女性の過去を暴露する手法に長けた人だと思う。
まあ、この人が小池百合子知事と同じことをできるとは思わないが。

はっきり言って、彼女がカイロ大学を卒業していようがいまいが、そんなことはどうだってよい。
現に今、未曽有の危機に対処している、その点が評価されるべきである。この点で天才的な政治家である、と間違いなく言える。

誰かが功績をあげると、それを妬ましく思う人間が必ず出てくる。
度が過ぎると、「怨念」「想念」という形を取り、その人の不幸をねがうほどになる。
過去にどれだけそんな例があることだろう。
人間の「業」の深さを思い知る。

今は新型コロナも完全には解決していないのだ。まだまだこれからという時に、中心となる人物を叩くことに何の意味があるだろうか???
非常に疑問である。

その意図はうかがい知れないが、背後にうごめいている、どす黒い世界が見え隠れしないでもない。

2020年6月14日日曜日

誰もわからない世界



人間社会というのは、「共通認識」で成り立っている。
「私はそれが無いと思う」と言っても、その人以外の多くの人が「いや、それは厳然として目の前にあるのだ」と言えば、多いほうの意見が採用される。
多数決の民主主義社会では、これが真理である。

一方の共産主義国家や独裁主義国家ではトップに立つ「個人」の信じる見解や思想が絶対的に正しいのであり、多くの人間が真理だと思っていることでも、トップが間違いだといって否定すれば、それは間違いになる。

人間は真実に対する「なんらかの基準」を必要とする。
その基準があいまいになると、一歩も前に進めないことになる。
しかし周りの人間が理解できることでないと、それは相手に伝わることすらない。

まれに「自分の基準は、自分だ」と主張する人が現れることがある。
これは真実に対する「いまひとつ」の在り方であり、資本主義や共産主義、あらゆる「集団的な幻想」を超越し止揚した在り方でもある。

この立場では、「意志と表象としての世界」ではないが、自分のすべては自分が作る。
ただ、それを生み出しているものを、我々は知ることが出来ない。

このため、人がいったんこの立場に立つと、誰もその人の考えていることを理解することが出来ない。
言葉に表しても、誰の心にも届かない。
言葉の限界を超えて表現する、というのは、そもそも不可能なことをしようとしていることになるので、わけがわからなくなってしまう危険を常にはらんでいる。

あまりにも強烈な経験をすると、人はそのような方向に向かってしまうことがある。
自分の体験を、何とかして伝えたいと思うために、言葉や映像や芸術やその他の表現で伝えようとしてしまうのだ。

しかしそれは成功することは少ない。それらの表現手段が、体験に対してあまりにも貧弱であるからだ。
したがって表現手段を超えた体験をすると、どうしても無理をしてしまう。

私がこの文章を書く時に、実はある人物を思い出しながら書いているのであるが、最近その人は無理をしていると思う。

数理哲学者のR.ヴィトゲンシュタインは「人間は語りえないことに対しては、沈黙すべきである」と言っているが、これは本当にそうだと思う。

彼が自らそのことに気づき、また元の一登山者に戻ってくれることを願っている。

ソーシャルディスタンス(社会的距離)


明星山山頂より北アルプス主稜線を望む 2019/6/18

梅雨前線が到来し、蒸し暑い空気が入ってきた。
梅雨の晴れ間はアウトドアに行ける可能性もあるが、今年は遠出は自粛しなければならない。
コロナの患者は若い世代を中心に、東京などではまだ新規に発生している。
店に買い物に行けば、レジの前には線が引かれており、シートで覆われている。
治療薬とワクチンが開発されない限り、この状況をなくすことは無理である。

人間と人間の距離が近いと、どうしても飛沫や接触により感染しやすくなる。
登山においては、少人数か単独での登山が推奨されている。これにより「ソーシャルディスタンス」が確保できるのが理由である。

サービス業にとって、完璧な防疫対策を作ることは、大変な作業だ。
人の触れる場所全部の消毒、フェイスガードの装着など、ハードルの高い問題がある。
小規模な店舗であれば、なおさら大変だと思う。

たしかに最初から「3密」を避けるように警告はされていた。しかしサービス業の人にとって、これを避けるのは難しい。
「人間と人間」のコミュニケーションは、Zoomのようなオンライン会議システムを使うだけでは、誤解を生むこともあるから。
人間のコミュニケーションは、いわば全身全霊で行うものだ。その場にいないと、相手の気持ちや心まではわからないものだ。相手の発する微妙な「気」を、インターネットは伝えてくれない。

文字や動画、音声の伝える情報には限界がある。
また、情報があやまって伝わってしまったりすることが多くある。
この点を逆さに取って、意図的に情報を改ざんして、相手を誤らせようと企む者すらいる。

「人間対人間」のコミュニケーションが円滑に行われるためには、インターネットで伝達できる情報だけでは、情報量が少なすぎるのだ。

2020年6月11日木曜日

登山系SNSに書くときに気を付けていること



ヤマレコをやっている時にも感じたことだが、登山系SNSではどうしても情報を「盛る」心理が働いてしまう。
だいだい以下のような傾向に陥ることがある。
  • 標準コースタイムより、どれだけ早く歩けたかを強調する
  • 生命の危機を乗り越えた事を強調する
  • 山がどれだけ美しかったかを強調する
これらに共通するのは「自分の力が強い」ということを宣伝する行為。
登山を重ねることで体力・技術が向上し、さらに難しい山に挑めるようになることは悪いことではないだろう。
それに伴うように風景を楽しめる余裕も出てきたりする。
そうやって「いいね」がたくさん付いたりすると、自分の能力が「承認」されたような錯覚に陥ってしまうことがある。
登山系SNSで厄介なのが、この点だ。結果自分の現在の能力(年齢や技術)を超えた登山を実行に移し、遭難してしまった人を私は知っている。
私が登山系SNSをあまり好きでない理由は、このような苦い経験があるからだ。

YAMAPは少しマシだと思っていたが、それでもそういう傾向が最近出てきているような気がする。
やはり、登山系SNSは皆同じなのかな?
(そういう傾向が顕著にみられた場合、書くのをやめようと思っている)

ヤマレコは、そういう点に気が付いたのか、最近では標準コースタイムに対し、極端に速ければ「とても速い」などの文字を表示するようになっている。
これだと、他の人が見た場合、その記録が参考にすべきものなのかどうか、一目瞭然である。

そして、生命の危機を乗り越えたことを強調することに関しても、そもそも山で生命の危機に遭うことは絶対に避けなければならないことだ。
それは遭難寸前を意味するからだ。
ましてやそれを武勇談として語ることは、誤解を生むことになるから避けるべきだと私は思っている。

以上のような事から、私は登山系SNSに書く時、参考にする時、このようなことに気を付けている。
  • その記録は、楽しいことよりも、苦しいこと、失敗したことを強調して書いているか?
「標準コースタイム」は、山をよく知っている人たちが、無理なく登れる時間を計算して公表しているものである。これに異議を唱えるには、それなりの根拠がなければならない。
根拠が示せないならば、これに異議を唱えることは出来ない。
だから、標準コースタイムより速く歩くことは、危険性が高いということになる。

山は楽しいことよりも苦しいことのほうがずっと多い。
無事に下山するとほっとして、苦しいことの方は忘れてしまう。
そしてその記憶をSNSに上げてしまうので、見た人は「楽しいことばかり」「大した事ないじゃないか」と誤解する。

実際、登山は何かあれば助けを呼ぶことが難しい。人間の住んでいる世界からかなり離れているから。
登山者は常に恐怖、不安、危険と戦っているのだ。
自覚していなくとも、何かがあればそれを自覚させられることになるだろう。

2020年6月10日水曜日

蟲師(むしし)



もう17年ほど前に書かれた『蟲師』という漫画がある。
私はある人からこの漫画の存在を知らされたが、当時は気持ち悪くて読まなかった。
実写映画化(オダギリジョー主演)やアニメ化もされるほど売れた漫画だったらしいが、どうも「虫」が出てくるのは苦手だ。

山に登るようになってから、私は自分が少し虫に好かれることに気が付いた。
この漫画の主人公「ギンコ」も、虫を寄せ付ける体質だという。

ただ、この漫画に出てくるのは、普通の昆虫ではなくて、山の精霊とか妖怪に近いものだ。
これをコントロールする力を持つのが『蟲師』という存在らしい。

いろいろな種類の「蟲」が登場するが、人体に寄生したり、襲い掛かってくるものなど、色々いる。
「蟲」は「光酒(こうき)」という、酒の形を取ることもあったりする。
一言でいえば、「山の神秘的な力が形を取ったもの」である。

この間山の中で纏いつかれたのは「ムグラ」という蟲に近い。これは山の神経のようなもので、蟲師はこれによって山の様子を知ることができる、という。

『蟲師』の作者は多分自然が大好きな人だと思う。
そのため自然の描写が美しく、なかなかよさそうな漫画だと思った。

山には必ずしも美しい風景だけがあるのではない。目をそむけたくなるような大自然むき出しの光景を目にすることもある。
動物の死骸、排せつ物、それに群がるウジ虫やハエ・・・
病気のために変形した植物等々・・・
普通人はそういうものには目もくれないで、先に進もうとする。
しかし、それも素晴らしい風景を構成している一要素であることは、疑いない。

山の中で意識が研ぎ澄まされてくると、普段そういうものを直視することは難しいはずなのに、何も思わなくなってしまう。
認識のシステムが、だんだん自然の側に移動すると、そうなるような気がする。

これが本当に進めば、大自然と一体になるところまで行くのだろうか?

新型コロナウイルスは、もともと中国雲南省の山奥の洞窟にいた「キクガシラコウモリ」に由来するウイルスらしい。これは普通なら人間界に出てこないウイルスであるはずであった。
しかし今、世界中に恐ろしい惨禍をもたらしている・・・

人里離れた山奥には、今でも未知の「蟲」たちが存在しているのだ。