2023年6月28日水曜日

正珪石 日本で一番古い石

正珪石(オーソコーツァイト)は日本最古級の石(宮地,2005)と考えられている。カリウムアルゴン年代測定法によれば、今から4億7000万年前から7億7000万年前に生成したと推測されている。
これはひすいとほぼ同じか、さらに古い年代である。
約五億年前を「カンブリア紀」とすれば、それ以前の「先カンブリア紀」から、この石があることになる。
下の写真の石はすべて道路の落石の中に含まれていたものだ。この地方では数が非常に多く、自宅の庭でも一個確認している。
組成は90%以上が石英である。

このようなとてつもなく古い石が、なぜ日本にあるのか。
これは日本列島が大陸から分離するはるか以前、大陸にあった大河の堆積物が固まってできたという。もともとは砂漠の砂で、長石や輝石は厳しい環境のため残らなかったらしい。
この石ができるためには、大きな砂漠や大河が必要で、そのような環境は日本のような狭い場所には存在しない。従って、日本列島分裂以前の「大陸起源である」とされている。

7億年前と言えば、地球がすべて氷に覆われた「全球凍結」の時代と重なる。
これほど昔の石が、手元にあると思うと、感慨深いものがある。


様々な色の正珪石の礫。黄緑色、赤、白、黒などがある。特に気に入っているのは「黒」

黒翡翠のような雰囲気が好きである。

ほぼ石英なのでとても透光性がある。

酸化鉄によって赤色になったもの

2023年6月22日木曜日

医王山周回 梅雨の晴れ間

 医王山周回に行った。
コースは初めて歩く、見上峠周回コース。約12km。標高差800m。
フェーン現象の中、気温が高くなかなかペースが上がらない。
最初に大きく下り、登り返す。
涼しい時に下り、暑くなってから登るという矛盾したコース(夕霧峠出発の場合)
しかしながら、良い運動で爽快感があった。
これぐらいの山を登ると、本当に登山って楽しいなあ、と思える。

夕霧峠よりスタート

ササユリの見頃ですね

夕霧峠から金沢港方面

ヤマツツジ満開

白兀山頂

小兀より金沢の街

医王の里までたどりついた

医王の里のバンガロー

昔の遺構の跡みたいだ。昔医王山には3000もの寺があったらしい

見上峠登山口

菱池小原登山口に向かう道

ギンリョウソウ

ヤマボウシは満開だな

これはヒトリシズカ

やまぼうしの華がきれい

山頂展望台でいつも昼食

白山の残雪

山頂より氷見の方面

2023年6月16日金曜日

なめとこ山の熊


宮沢賢治は人間の「業(ごう)」の深さを特に感じた人だったように思う。
彼の作品がどこか心の奥底に触れるのは、それが何人にもあてはまる部分があるからだ。

なめとこ山の熊』も、そのような作品の一つだと思う。
猟師の小十郎は、「なめとこ山」で熊を狩る猟師だ。「なめとこ」とは「滑床」のことではないだろうか?
候補としていくつかの山を想定されているサイトもあるが、作中に出てくる「淵沢川」は、青森県の奥入瀬川の支流に実際にある名前である。
「なめとこ山」と名付けられた山は、岩手県内にある。ただしこれは賢治の生誕100周年の時に付けられた。したがって実際、賢治がどの山をモデルにしているのかは定かでない。
とにかく、白神山地周辺はマタギ文化の有るところで、大きな熊も生息している地域だ。

小十郎は熊の胆と毛皮を取って生活している猟師である。
しかし好きでやっている仕事ではない。家族を養うために、やっている。
苦労して取った熊の胆や毛皮は町に売りに行くのだが、商人に安く買いたたかれる。

ある時、熊の母子が月の夜に語り合う姿を見て、自分の職業の「業の深さ」を悟る。
そして最後には、熊に殺されて死ぬ。
この場面の賢治の描写が非常に印象的である。

「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
 もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。
 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光《りんこう》をあげた。すばるや参《しん》の星が緑や橙《だいだい》にちらちらして呼吸をするように見えた。
 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環《わ》になって集って各々黒い影を置き回々《フイフイ》教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸《しがい》が半分座ったようになって置かれていた。
 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴《さ》え冴《ざ》えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。

人間が死ぬときには「形容しがたい」非常に強い光を見る、と言われている。
その様子が描かれたあと、「回回教徒(イスラム教徒)」が祈るように、というから、五体投地の姿勢で、熊たちが輪になって小十郎を弔う。
まるで、お互いの業を見つめあうように。

雪山の描写も見事である。実際に登ってみると、まさにこのような世界が広がっているのが雪山だ。

賢治は仏教徒であるから、殺生を嫌い、肉食をしなかったといわれる。
しかしながら、猟師であるが故の殺生という生業を、批判してはいない。
これは人間が生きる一つの姿なのだ。
そうしなければ生きられないのである。実に悲しい「業」である。

この小十郎という猟師はクマに殺されたのではあるが、そのことによって魂の救済を得たのかもしれない。「何か笑っているようにさえ見えた」という記述がそれを示しているように思える。

山に登れば熊がいてもおかしくない。
私もたくさん肉を食べたなあ。
殺されても文句は言えないのではないか、と思った。

2023年6月13日火曜日

流紋岩か礫岩か

 また庭で少し気になる石を発見。
掘り出して、クリーニングしてみる。
クリーニングと言ったって、洗剤を付けてたわしでこするだけだ。
削ったり磨いたりはしない。

こういう石は、火山れきを含む流紋岩ではないだろうか?石英も含んでいるが、長石も含んでいる。

このように球状に集合している部分もあるので「球状閃緑岩か」と思ったが、違う。これは緑色凝灰岩のようにも見える。前に載せた明らかな「球顆流紋岩」とも違う。晶洞も見当たらない。

これは流紋岩なのか、たんなる礫岩なのか。

しかし、球状の部分の姿が良いので、キープした。

2023年6月8日木曜日

球顆流紋岩が庭にあった

自宅の前庭には大きな石が転がっている。 
(こんな石が庭にあるなんて、どんな家や(笑))
石に興味を持つ前には、この石に気が付くことはなかった。
何気なく下を見て歩いていると、なんとなく、雰囲気のある石がある。
掘り出して、クリーニングしてみると、なんと「球顆流紋岩」。
これはいわゆる「紋石」というやつで、有名なものでは白山紋石、飛騨紋石というものがある。
自宅は結構古い家なので、昔誰かが拾ってきて、置いたものなのかもしれない。
有名な石の本「雲根志」で「ナンダモンダ」と言われている、「ナポレオン石」によく似た形状だ(「ナンダモンダ」は球状閃緑岩である)。
マグマが急激に冷えた時、石英が放射状に結晶したものが集まっている。これはクリストバル石(方珪石)ともいわれる。高温石英の一種だ。
球顆の中には玉髄があり、晶洞があるものもある。晶洞の中には水晶も確認できる。
球顆は「サンダーエッグ」とも言われる。オパールが入っていることもある石だ。
流紋岩の殻の中に、石英質の部分が「卵」のように入っている。
何とも言えない味がある。

最初見たときは、鉄さび色の変な石だった。よく見てみれば様々な形の「球顆」を含んでいる。

鉄分を含む石は、経験上、古い時代の石である。

サンダーエッグの晶洞の中に、わずかながら水晶も確認できる。

石に興味がなければ、毎日見ていても気が付かない石であった。

2023年6月5日月曜日

オパールがきっかけで宮沢賢治の世界に浸る

 


オパール探しがきっかけで、オパールが主題の『貝の火』を読んで、すっかりその世界観に引き込まれてしまった。
そこで今度はいくつかの作品を読んでみることにした。
『宮沢賢治の地学読本』(柴山元彦解説、創元社、2020)を買った。紙の本を買うなんて、何年ぶりだろう。最近、たいていは電子書籍しか買っていない。

紙の本は、光を発しない。すっかりディスプレーで読むのに慣れていると、最初は少し違和感を感じるが、すぐに慣れてくる。一気に最後まで読んでしまった。

この本には

1,『イギリス海岸』
2,『楢の木大学士の野宿』
3,『グスコーブドリの伝記』
4,『風野又三郎』
5,『土神ときつね』

の5作品が収められ、それそれに「地学的な」脚注がついているのが特徴だ。
これらの作品が地学の知識をわかりやすく解説している事を、改めて確認した。
ただし、最後の『土神ときつね』はちょっと異色の作品であった。
これは天文学の領域に属するような作品で、なぜこの作品を編者が収めたのか、編者の意図を理解するのが難しかったが、作品として最も面白かった。

読んでもらうと分かるように、登場する存在は、白樺(女性)、狐(男性)、土神(男性)しかいない。
このシンプルな構成が、この話を、より読みやすくしている。

白樺は女性、狐は虚栄心の強い男性、土神は馬鹿正直で直情的な男性として描かれている。

狐も土神も白樺に好意を持っている。
狐は白樺に見栄を張り、うそをついてでも好かれようとする。
実際に白樺は狐を好きなようである。
土神は正直な事しか言わず、激情的な性格なので、白樺は恐れている。

そして両方とも白樺に思いを伝えられない。
ある日、白樺の所に会いに来た狐の「赤革の靴」が光るのを見て、土神は「キレ」て狐を殺してしまった。

童話にしては、かなりショッキングな幕切れである。

土神が殺した狐の巣穴に入ると、実際には何もなく、狐が見栄を張ってうそをついていたことが分かった。そして屍のポケットの中を見ると「茶いろなかもがやの穂が二本」入っているだけだった。
土神は、自分が取り返しのつかない犯罪を犯したことを悔いて、とほうもない声で泣くばかりだった。。。

宮沢賢治は、なぜこのような物語を書いたのだろう。
この作品は賢治の死後に残されたものだという。もしかしたら、本人は発表するつもりが無かったのかもしれない。
ただ、自分の中の「負の、暗黒の感情」を作品に吐き出したようにも感じられる。

宮沢賢治は「聖人」ではなかった、と私は思う。
そして、この世のどんな存在も「聖人」にはなれない、と思う。
「聖人」になるには、自分の「悪」と対決しなければならない。
しかし、いずれそれはある時に「悪」ではなかった、という事に気づかされる日が来る。

土神が作品の途中でそのことに気が付いたような描写も見えるが、結局自分の幼稚な激情を抑えきることができなかった。
「聖人」を目指したが、それと同時にさらに際立ってくる「悪」の感情を、この作品は見事に描いている。

光が強ければ強いほど、影も濃くなってくるものだ。