2020年7月27日月曜日

ひすいなのかなあ

このブログは本来は登山のブログなのだが、ひすい拾いの方が参考にされるようで、アクセス上位はいつもひすいの記事だ。
タイトルは「登山曼荼羅」なので、本当は登山の方を見てもらえると思っていたが。
登山は最近人気が無いのかな?

登山はいちおう目的を達したし、しばらく休もうと思って始めたひすい拾いだった。
しかし、やってみると意外と面白く、結局は何十回も海岸に足を運ぶことになった。
山の空気も良いが、海岸の空気も別の爽やかさがあるものだ。
「ひすいを拾う」というよりはむしろ、海岸散策の方がメインになっていたと思う。
必然的に、ひすい拾いの記事の方が多くなってしまった。

いろいろ調べてみると、海岸では良い石が拾えないことが分かってきた。
海岸で拾える石は、宝石のひすいではない、と言う方もおられた。

またロディン岩や石英、ネフライト、蛇紋岩、曹長岩など、ひすいと紛らわしい石が多量に存在し、「どれが本当にひすいを含んでいる石なのか」さっぱり分からなくなった。

たまに拾える石は「これがあのひすいだろうか?」と思うくらい、なんの変哲もない石ころばかり。
確かに持った感じは重いし、ごく一部分に緑色を含んでいたり、光を通すときれいな色になったりと、他の石とは違う。しかし違う以上の価値は、正直感じられないものばかりだ。

下の写真の石も、そんな石の一つ。
越中宮崎海岸で、なんとなく拾った石だ。


一か所だけ、ひすい色をした部分があるが、この石の比重は小さい。ごく一部分だけひすいを含んでいるのだろう。

このような石がよくブログなどで「ひすい」として紹介されているようだが。私はこれをひすいだとは言えないな。
ひすいについて、誤解が多いようだ。ひすいとはあくまでも「宝石」である。 「宝石」だとしたら、あまり混じりけがあってはダメなのではないだろうか? まあ、ごく一部分だけ混じりけのないひすいだ、ということはあり得るかもしれないが。 しかし、その部分だけ残すとしたら、砂粒のようになってしまうだろう。