2018年11月8日木曜日
山旅はやはりいい
山奥を歩いていると、何とも言いようの無い感情におそわれることがある。
そういう時は、実は何か頭の中で考えていて、漫然と歩いていることが多い。
「感情」が湧き上がる、ということは、何か考えているから湧き上がるのだ。
そんな時、つるっと滑ったり、つまづいたりすることが多い。
崖の横を、ロープや木の枝につかまりながら、あたかも「猿」みたいに降りているときは、感情など一切起こらない。自分がどうしたら落ちないか、その方法を考えているだけである。
これは本能的なもので、体が勝手に危険を回避する行動を取るようになる。
少しでも気を緩めるならば、危ないことになることを、体がわかっている、というより他は無い。
山旅という言葉に、なんとなく「気持ちいい風景を見ながら、のんびり歩く」というイメージがあると思う。いろいろな漫画や小説やインターネットの情報‥
そういう情報や写真を眺めていると、自分にも簡単に出来そうだという錯覚をすることがある。
それはじつに錯覚以外の何物でもなく、実際はもっと激しく、厳しく、つらい行いである。登った山は、必ず自力で降りてくる義務がある。おのれの体力と気力が全てである非常に冒険的な趣味が、登山というものだ。
その義務を果たせない場合、社会に迷惑をかける、ということになる。
なるべく、そういうことにならないように、山旅を計画する必要がある。
安全に降りてこられない山には登ってはならない。当たり前のことかもしれないが、意外とわかっていないことでもある。
しかしながら、山旅はどんな旅よりもすばらしい。
何にも増して、「自分の足で旅をする」ということがすばらしい。
「自分の足」は、自分で運ぶしか無い。全て自分で決断し、自分で判断しなければならない。誰にも頼ることはできない。こういうアクティビティーを、現代社会でやる、という機会はあまりない。
現代社会はあまりにも機械化され、面倒臭いことは何でも機械がやってくれるので、われわれはほとんど「判断」をする間も無い。
「山」にはインターネットもなければ、携帯電話も無い。
そういうことに気づかせてくれるのが、山旅の醍醐味である。
やはり山旅はいい。