2020年5月25日月曜日

越中宮崎~上路山姥神社~大平峠~橋立

今日は越中宮崎海岸でヒスイ拾いの後、上路山姥神社から大平峠を越えて、橋立に抜けてみた。

ひすい拾いは、宮崎から境川まで往復。約8kmぐらい歩いたかな。
小さいひすいを少しだけ拾った。

次に、前から行ってみたかった「大平峠」へ向かう。

最初、大平峠から外波に抜けようとしたのだが、「雨池」から先は、通行止め。
戻って、橋立に向かう。

この周辺は山が海に非常に近い。ほんの数キロで標高差1000m近くあるので、深山の趣と、海の潮風を浴びることができる、最高のハイキングコースだ。
これほど素晴らしい環境は、日本でも限られている。

休みになるとこの周辺ばかりに来るのは、それだけ飽きの来ない美しさがあるからだ。

上路山姥神社。大きなフジの木が前にある。

12社神社。十二様とは、山の神の事である。

拝殿にある見事な彫刻。文化財になっている。とても趣のある神社である。冬はこの裏から白鳥山へ登ることが可能だ。

大平峠へ向かう途中、サルの群れに遭遇。

栂海新道を横切る。ここから尻高山までは、約2kmぐらいかな?

海が近い。以前、入道山までラッセルして行ったことがあるが、その時もこんな風景が見えていた。

大平峠に到着。標高630mぐらいある。驚くほどきれいに整備されている。ここから麻尾山を目指し少し進んでみるが、山頂への道があいまいで分からなかったので断念。その後、外波経由で帰ろうと思って、雨池を目指す。

駐車場すごく広いです。

丸山英二さんが書かれた詩があった。

雨池に到着。ここから先が全面通行止めになっていた。仕方なく戻る。

大平峠から、橋立を目指して下り始める。この横が青海川源流域となる。ものすごく深い谷。落石、路肩崩壊が激しかった。蛇紋岩地帯なのでしかたないね。道に落ちていた蛇紋岩の落石を拾ってきた。

あっという間に橋立に出た。これは青海渓谷の岩場。ロッククライミングのゲレンデであり、いくつか残置ハーケンが打ってあった。

青海渓谷の様子。下には降りちゃ駄目ですよ。

今日拾った石たち。左が大平線で拾った蛇紋岩の落石。真ん中と右が宮崎で拾ったひすい。

石英?かなあ。比重を計ってみないとわからない。翡翠らしい特徴はあるのだが。光を通しすぎるよな。

これは丸いけどひすいで良いと思う。

蛇紋岩は風化すると弱い地盤を作る。

真ん中の白い石の透過。この色がひすいの色なんだよね。小さい石だけど。

2020年5月22日金曜日

今年は山小屋を営業するのかな?


うっすらと剱岳を望む 2020/5 利賀高峰から


登山するときの、最後の命綱が「山小屋」である。
山では何があるか分からず、けがや病気などをしたときに、救助要請を出す前に相談しなければならない場所でもある。山小屋があることは、たいそう心強い。

だが、今年はどうも営業するかどうか、微妙な雰囲気である。
早月小屋さんも「1か月、今後のことを考えます」という意味深な表現をされている。

今年の営業はもしかしたら無いかもしれない。富士山も山梨側、静岡側とも登山道を開放しないらしい。
営業しない場合、剱岳のような危険な山に登るのはあきらめるほかないだろう。
穂高の西穂山荘も7月15日まで、ロープウエイが動かないため、休業だそうである。

7月にもなれば、なんとか治まってくるとは思う。しかし、それは山小屋を営業できる、ということを必ずしも意味しない。
山小屋は3密の環境そのものである。非常に混雑する。
クラスターが発生しない、とは今の状況では決して言い切れない。

では、山小屋の無いマイナーな山域の登山ならばどうか?
これも私はあまりお勧めできない。
山小屋のあるような山の登山道はきれいに整備され、歩きやすいが、マイナーな低山の登山道は手入れが行き届いておらず、慣れない人にとってはかなり危険だ。
道迷い、滑落、野生動物との遭遇の可能性がかなり高い。道が草に覆われて見えないこともあるし、がけ崩れで通れないこともある。北アルプスのメイン登山道とは比較にならない。
そのため実際に遭難がよく起こる。土地勘がある人ですら危険なこともある。
低山は標高以上に別の危険が多いので、ある程度山慣れしてから登ることをお勧めする。

とにかく、今年は登山にとっても受難の年である。
今後どうなるか注目している。

2020年5月20日水曜日

角閃石とひすい

この間拾ってきた石の比重を計ってみたら、そこそこ重いものがあった。
もちろんひすいだとは言えないが、少しひすいが混じっているか、角閃石かであろう。
角閃石は大体黒いが、中には緑色のものもあり、糸魚川にはけっこうあるように思う。
これもまたひすいと間違いやすい石で、比重も3ぐらいある。

※メモ
角閃石の特徴は、黒や深い緑、繊維状の構造、表面がけば立っているようにみえる、一方向の結晶、などであるように見え、比較的わかりやすい。


ひすいの色は白いが、角閃石があると緑色がつくような気がする。
つまり、緑閃石の細かい結晶であるネフライトも、角閃石の一種だということになる。

角閃石は一般的な造岩鉱物であり、珍しくない。どこにでもある石である。道路に敷いてある砕石の中にも、多分含まれているものがあると思う。

緑色のものは、ひすいと見分けがつかないものがある。
まあ、目視で判断するのは不可能だろう。フォッサマグナミュージアムの職員さんにでも聞いたら分かるかもしれない。

以前にも書いたように、ひすいとは何かを考えてはいけない。考えてもたぶんわからない。
翡翠は非常に定義があいまいな石である。
ひすいを少しでも含んでいれば、ひすいだと判断する人もいれば、80%以上の含有率が必要だと考える人もある。
つまり、どうだってよいのである。
拾った人が、きれいだと思えば、それがひすいなのだ。

比重3。緑のスポットが入るが、透過は無し。表面のきめも細かくない。艶がない。

比重3.1ぐらい。アクチノライトとは違う。角閃石の塊のように見える。

一部分が緑色をしている。比重2.9ぐらいあるので、石英や曹長岩ではない。おそらく一部にはひすい輝石を含んでいるだろうが、緑色の部分は角閃石だと思う。ただ、ごく一部だが、角閃石ではない緑色の部分がある。ロディン岩の可能性もあるが、ロディン岩独特の陶器のような質感はない。

2020年5月19日火曜日

イイモリ・ストーン(IL-Stone) 無いと思っていたらあった

イイモリ・ストーン(ヴィクトリア・ストーンとも言われる)については、以前にも書いたことがある。
理研が設立されて間もないころ研究員に招かれ、それ以降理研の飯盛研究室を運営されていた化学者、飯盛里安博士が戦後合成した人造宝石であり、製造方法を明かさないまま他界されたため、現在では誰も作れない。
オーストラリアのJohn Bennett氏がスターバースト・ストーンとして再合成しているが、本人も言われる通り、オリジナルのイイモリ・ストーンに似た、違う石である。

私は以前、家のどこかでこの石を見たことがあるような気がして、ずっと探していたが、今日やっと見つけた。
おそらく、50年以上前に作られた石だと思う。
本物のタイガーアイかキャッツアイかもしれないが、本物にはこのような色のものは無いような気がする。

激しい変彩効果(シャトヤンシー)を持ち、動かすと実に美しい。
長い年月が経過しているにも関わらず、傷、欠け、ひびは一切確認できない。
しっかり作られた石だ、という事が分かる。

当時の日本では人造宝石の評価は低く、「ガラス」扱いしかされていなかったようであるが、海外では高く評価された。当然ガラスとは本質的な違いがある。

半世紀以上も前、日本人は確かにすばらしい技術を持っていた。
かつては世界に通用していた技術も、最近ではだんだん海外に押されてしまっているように思う。

いったん技術が途絶えてしまったら、もう誰も再び作ることはできないのだ。
そういう技術が、今の日本にはたくさんあるように思う。

カフスボタンに加工されている。仕事の時に付いたと思われる朱肉が付着している以外は、まったくきれいなままだ。

変彩効果が著しく、オーストラリアで作っておられる「スターバースト」よりもはるかに大きい。どうやって作ったのだろうか?

同時に見つけた「本べっ甲」のタイピン。これも今では原料となる亀(タイマイ)の甲羅が厳しく取引を禁じられているために、オールドストック以外では入手できない。べっ甲を採取するために乱獲されたため、今ではタイマイは絶滅寸前だという。

2020年5月17日日曜日

以前とは全く変わってしまった世界


北アルプス。現在も封鎖中のままだ

緊急事態宣言が解除されてから、徐々に人出が戻りつつあるように思うが、以前とは様子が全く違ってしまった。
車は走っているが、以前の7割ぐらいだろうか。
街は「臨時休業」の看板や張り紙が目立つ。
公共の駐車場、道の駅もまだ完全に開放していない。
2か月ほどの間に経営破綻した会社も多いという。

以前とはガラッと変わってしまった世界を見て、信じられない思いである。
人間の社会は本当にもろいものだ、ということが分かった。
今までは当たり前である、と思っていたものが、当たり前ではなかった。

ずいぶん贅沢をしてきた。ないものは何でも手に入ると思い込んでいた。

一方の大自然は、以前と何も違わない。この季節になれば新緑が山を覆い、花は咲き、虫が飛ぶ。
海岸に転がる石ころも、別に形を変えるわけでもなく、転がっている。

普段私たちは「変化するもの」に心を奪われすぎ、「やりかたを変えず、淡々と生きている存在」を見失っていたのではないだろうか?
珍しいもの、価値のあるもの、美しいものを求め、新しいものを求め、生活をより安楽にしようと思ってギリギリの努力をし、自分を痛めつけ、自然を破壊し続けていたのではないだろうか?

それらの行いを全部やめなければならない状況になって、「変わらない存在」に少しだけ気が付いたのではないだろうか?少なくとも私はそう思った。

もう以前のように何の不足もない生活は送れないかもしれない。
しかし、考えてみれば日本人の生活を支えている物資は、海外の安い人件費で生産されたものだった。
それを輸入して生活していたのである。別にそれを日本で作っていたわけではなかった。

これからどんな時代が来るのか、想像もつかないが、以前の生活には戻れないような気がする。

まだまだ、どこも自粛が続いている。
気のゆるみは再び感染拡大を招く恐れがある。