2025年3月6日木曜日

AIによって何かが阻害されるわけではない

 


「続けること」への迷いが、生成AIによって増えているのかもしれない|Alpaka

AIは、「全く」人間の仕事を奪う存在ではない。そのようなことは、決してできない。
それは今まで述べてきたことで明らかだろう。だいいち、AIは「意識を持たない」。
また自ら「意志」を持たない。そのように見えているだけであり、その実体は「乱数」である。
このような存在がどうして「創造」できるだろうか?何かを生み出せるだろうか?
AIの専門家たちは、このことをとっくに承知している。
そして、AIの限界も。
さらにそれを「どのように使ったらよいのか」も、知っている。それは、人間の検索の用途に対して、非常に有用である、というだけだ。
したがって、上のリンクで言われているような懸念は、まったく必要ない。

どれだけ巨額の投資をしてみても、「できない」ものは出来ない。
不可能なことは、不可能だ、という意味である。
巨大な乱数生成器に、どれだけ資金を投入してみても、「人間の頭脳以上の神」を作ることは出来ない。
むしろ、AIをこれほどまでに有用にしているのは、人間が今まで世界中で公開してきたデータの方である。
それは、過去に人間が「創造」した、様々な論文やデータの蓄積を、統計学的理論などを用いて、使いやすくしただけのツールなのだ。
決して「自ら考えて」いるわけではない。
考えるのは、人間の方である。
そこを間違えると、くだらないものに、巨額の投資をしてしまうことになる。

人間の脳はAIよりも、はるかに、はるかに優れたものである。
なぜなら、人間の脳は、生きているからだ。

その辺りを誤解しているひとがあまりに多い。
人間は、アメーバ一つほどの生命体ですら、ゼロから合成できない無知なる存在である。
ただ、それを自分の思い通りに操ることが得意な存在にすぎない。
決して、このような存在は「神」にはなれないのだ。

2025年3月2日日曜日

ハルシネーション

 


AIの本質がだんだんわかってきた。これは情報を集めるのには有用だ。特にプログラムを書くときには非常に有用だと思う。
しかし、AIで人間の書くような文章を作ることは難しい。なぜならAIは「行間」を読めないから。

人間は「書かなくてもわかる」ことを知っている。その書かれない部分というのは、もちろん書くのがためらわれたり、公に書いたりすることが良くない、あるいは、倫理的に間違っていることも含むが、たいていの場合は、相手の想像に任すという部分だ。
その文脈は、社会的な「不文律」やルールで自然と決まってくる。しかも、それは地域や社会によって違う場合もある。
それをAIが理解し、適切な回答をする、ということは、現時点ではありえない。

ある程度整った文脈、たとえば、プログラミングや数式であれば、AIは実に精確な回答を与えてくれる。
しかし、それが小説や文学や詩、俳句や短歌のようなものであった場合、とたんにでたらめな回答を生成するようになる。
しかも、その中には無理やり行間を適当な言葉で詰めたものも出来上がる。
これを「ハルシネーション(幻覚)」と言うらしい。
AIが幻覚を生成するとは、おもしろい発想だが、ようするにもっともらしい嘘を生成してしまうのだ。

まあ、我々自身の思考がすでに「ハルシネーション」の要素を多分に含んでいるのだが、AIのそれは、「ハルシネーション」らしくない幻覚というか、すぐにわかる幻覚なのである。

AIは人間の脳にすぐに追いつく、などと夢物語を語る人もいるが、完全に誤りである。
囲碁などのAIが人間の能力を上回っているのは、過去に人間が打った手をすべて記憶しており、統計的にもっとも数値が高い解答を利用しているにすぎない。
勝ちと負けしかないゲームには有効だが、それがそもそも存在しない人間社会という複雑系に対して対応できるAIが現れるという段階には程遠い。

たしかに昔のデータベース管理システムに比べれば、格段の進歩はあるのだが、やっていることは、本質的には変わらない。
「たくさんのデータの中から、最適なものを選ぶ」ということである。
この用途に使用する限りにおいて、AIはとても強力なツールになるだろう。