富山県民にとって、立山は身近な山だ。
小学校の時、たいてい立山登山(雄山までだが)の課外実習があるところが多く(実施していない学校もあった)、だれでも一度は登っているからだ。
昔は立山に登山することが一種の通過儀礼であり、大人になった証であった。
その当時は、称名滝の横の「八郎坂」からアプローチした。
途中2泊も3泊もして、登ったらしい。
以前、八郎坂から追分まで登ったことがあるが、かなり大変だった。
ともあれ、県民にとって、立山は特別な思い入れのある、大切な山である。
何度この山に登っても、毎回「良かった」と思えるのは、おそらくそのためであろう。
立山は弥陀ヶ原の最上部にあたる室堂平を取り囲むように、大日連山、剱岳、別山、立山、浄土山がある。
このような地形になっているところは、ここの他には木曾駒ヶ岳の千畳敷カールもそうだろう。
太古の昔、氷河によって削られたり、火山の噴火の火砕流が流れたりして、このような地形になったと考えられる。
まるでお椀の底から、周りを眺めるような感じだ。
山の上から見ると、まるで箱庭のように見える。
立山のもう一つの見どころは、そのお椀の底に活動中の噴気孔があること。
平安時代の『今昔物語集』に以下のような記述があるのは、広く知られている。
今昔、越中の国□□(新川?)の郡に、立山と云ふ所有り。昔より「彼の山に地獄有り」と云ひ伝へたり。
其の所の様は、原の遥に広き野山也。其の谷に百千の出湯有り。深き穴の中より涌出づ。巌を以て穴を覆へるに、湯荒く涌て、巌の辺より涌出づるに、大なる巌動(ゆる)ぐ。熱気満て、人近付き見るに極めて恐し。亦、其の原の奥の方に、大なる火の柱有り。常に焼けて燃ゆ。亦、其の所に、大なる峰有り。「帝釈の嶽」と名付たり。此れ、「帝釈・冥官の集会ひ給て、衆生の善悪の業を勘へ定むる所也」と云へり。其の地獄の原に、大なる滝有り。高さ十余丈也。此れを「勝妙の滝」と名付たり。白き布を張るに似たり。而るに、昔より伝へ云ふ様、「日本国の人、罪を造て、多く此の立山の地獄に堕つ」と云へり。
(『今昔物語集』巻14第7話 修行僧至越中立山会小女語 第七)
昔からこの場所は「地獄」だと考えられてきた。悪いことをすると、日本人はこの地獄に堕ちる。
「大きな火の柱がある」というのは、噴気孔から出た火山ガスが発火したことを言っている。近年でも実際にこの現象が確認されていて、科学的に調査されている。
「帝釈の嶽」は、位置的に立山の事を指すのであろう。
その証拠に、かつて雄山の山頂にあったとされる金銅製の神像が「帝釈天」の像であることがわかっている。
立山曼荼羅には、地獄と極楽が描かれている。
まさに天然のマンダラになっているのが立山であり、このような特徴は、日本の他の山には見られないのではないだろうか?
私もいろいろな山を登ってきたが、やはりこの山が出発点であり、終わりもこの山なのではないだろうか?と思っている。
立山周辺の山々は、私にとって特別強い思い入れのある山々であり、今後も変わらないであろう。
やはり立山は良い。