先日、久しぶりに糸魚川の海岸に出てみた。
しばらく歩いて「これはだめだ」ということを悟った。
以前とは比べ物にならないぐらい、ヒスイらしきものがない。
少しは落ちているのが今の時期だと思っていたが、全くない。
たぶん「絶滅」してしまったのであろう。
分かってはいたものの、さみしい気持ちで、せっかくの休みをこのまま帰るのも何であるから、横の勝山城跡に登ってみる。
落ち葉で道が見えづらく、多少危険であったが、すばらしい景色を見ることができた。
今までのさみしい気持ちがいっぺんに明るくなり「登ってよかったなあ」と思った。
たぶんそのままヒスイ拾いをして帰っていたら、残念な気持ちのままで帰らなければならなかっただろう。途中で考え方を変えることによって、思わぬ幸運がすぐ横にあったことを、発見したのであった。
ひすいはたしかに尊い石であろう。しかしそれよりも尊いのは、人生を楽しんだり、満足したりすることではないだろうか?
一つのものに執着して苦しむより、その執着を捨てて、新たなものを見つけるとよいのではないか、と思ったのである。
それこそが「本物の」ひすいではないだろうか?
石ころばかりがひすいだとは限らない。